2012年10月14日日曜日

10月12日(金) スプリットから、モスタルに移動

朝9:20、スプリット駅そばのバス・ターミナルから、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルへ出発、
プロチェを過ぎて、入出国検査があり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナへ、

2時頃着、モスタルの旧市街に近いところでバスを降ろしてもらい、10分ほど歩いて、世界遺産のスターリ・モストに近い今日の宿パンシオン・チャドラクへ
荷物を整理し、小雨の中街へ、と言っても宿から直ぐが旧市街です。
近くのインフォメーションで、明日のバス時刻を確認、ボスニアのお金マルカ(KM)を下ろすためのATMの場所をお聞きしました。

ここで、始めての日本の個人旅行の若者に会いました。
関西から来た大学院生の若者で、昨日サラエヴォ゙から来て明日はドブロヴニクに発つそうです。
長期旅行の途中で、アフリカのタンザニアにあるキリマンジャロにも登ってきたそうで,ポーターを雇い、900ドル、数日間かかったそう。

スターリ・モストでは、突然、数人のトルコ人のグループの中のご夫婦に声を掛けられ、何故か、奥さんの方がより凄く親しげに男の私に話しかけてきました。
トルコ語はさっぱり判らず、別の同行の男の人が英語交じりに話してくれるのですが、単語で聞き取れたのがプレジデント、アンカラ、キャピタル、ガヴァーメントくらいでした。
まさかトルコの大統領ではないでしょうから、何かビジネスで日本に関わって、余程良い印象を持ったのではないか、と妻とも話しました。
その場で、お互いに写真を取り合って別れましたが、心が温かくなりました。

6室の小さなホテルですが、英語の上手な上品な女性がオーナーで、部屋も調度品も趣味が良く、お勧めです。
これで朝食は付きませんが、キッチン付きの食堂があり、自由に使えます。
近くのレストランで4で朝食も戴けるので、安く済みます。

同じレストランで夕食を摂りましたが、2人で12で上がりました。
勿論、飲み物(ワインも)付ですよ。
スロヴァキア並みの値段です。
そう言えば、スロヴァキア、ハンガリー、スロヴェニア、クロアチアと下がるに従って、物価が高くなるのを肌で感じます。
中でもクロアチアは、観光地が多いせいか、別格に高いですね。
物によっては、ここボスニア、チェコの隣国スロヴァキアの2倍近くに感じます。

ATMでキャッシングして出てきた100KM(5千円位)札でレストランの支払いをしようとしたら、お釣りが無いとのこと、手持ちのユーロで支払いました。
ATMでは大きな金額しか出て来ないので、小銭が必要なときに困ります。
モスタルでは観光客が多いので、マルカは勿論、クーナ、ユーロも使えますが、サラエヴォでは、どうなるのでしょうか・・・

モスクの近くで、日本のツァー客を見かけました。
ここまで来ているのですね。
ドブロヴニクからは、モスタル日帰りのツァーもあるようです。

今夜は、レストランでボスニアのワイン、ホテルの部屋でビールと果実から作られたリカーのラキア(40度!)を美味しく戴きました。
おかげでブログのアップは出来ませんでした。

部屋の窓からは、遠くと近くにイスラムのミナレットが2塔(本?)見えます。
時間になると、近くのモスクからコーランの響きが聞こえてきます。
この国は、ムスリムの人口が4割以上を占めています。

ボスニア紛争は、1995年迄続きました。
スターリ・モストもその時破壊されましたが、2004年にユネスコの協力により復元されています。

明日は、バスセンターを11時発のバスでサラエヴォに向かいます。

スプリットのバスターミナルから

断崖の道が

続きます。

プロチェのバスターミナルに寄り

プロチェの鉄道駅が遠くに

蜜柑畑が続きます。

鉄道沿いに走ります。

ボスニアに入って古城が

モスタルに着いてホテルへ、スターリ・モストが見えます。

ホテルへ

ホテルに荷物を置いて、街へ

スターリ・モストから

スターリ・モストを

更に後方から

モスクとミナレット

話しかけてきた、トルコのご夫妻

部屋の窓からミナレットが

下流から橋を

夜のスターリ・モスト

夜のモスクとミナレット

夜の橋塔

部屋からミナレットを



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