2012年10月14日日曜日

10月13日(土) モスタルからサラエヴォへ

モスタル泊まりは、1泊のみ、
モスタル駅そばのバスターミナル11時発、午後2時前サラエヴォ・バスタ-ミナルに到着、
16日のサラエヴォ発ドブロヴニク行きのバス時間を窓口で確認、07:15発と10:00発の2便があり、10:00発のチケットを購入(80マルカ/2人で)
ドブロヴニク到着が15:50の予定です。

支払いはカードが効かずキャッシュのみ、手持ちのマルカが足りずに、残りはユーロで払いました。
マルカは、トイレ代とトラム代が僅かに残るだけになりました。
また、街中のATMで下ろさなければなりませんが、幾ら下ろせば良いのか、ユーロ、C/Cがどれだけ効くのかが問題です。

バッグを背負った年寄りの東洋系の旅人は珍しいのか、どこでもじろじろ見られますが、サラエヴォまで来ると、なおさら人の視線を感じます。

チケット1.6マルカ(1人)を購入、トラム1番で旧市街へ、
川沿いの通りをラティンスキ橋(モスト)で降り、橋そばのホテル・ラティンスキ・モストへ、
内装がイスラムの雰囲気のある、洒落たプチホテルでした。
これから3泊(朝食付き210)します。

この橋は、第1次世界大戦の発火点となった「サラエヴォ事件」の現場にあります。

サラエヴォに着いて、寒くなりました。
バルカン半島のかなり内陸になります。

青空市場のラキヤ売りのおじさんと、ザクロのラキヤを買いました。
オリジナルよりかなりアルコール度が薄まっています。

朝のスターリ・モスト

博物館(6KM/人)の一部になっている橋塔から、モストを下に眺めました。

橋の上から飛び込みます。
スポンサーを見つけて飛ぶようです。

橋塔から、お土産屋の並ぶ街方向を

橋塔から遺跡のある地下を通って左の建物に出ます。
全体が博物館になっています。

ホテルをチェックアウト

モスタルの鉄道駅、手前がバスターミナル


サラエヴォ到着、アバス・ツィストタワーと鉄道駅

駅前から1番トラムで

トラムの車内

2両連結です。
古い車体ばかりです。


ラティンスキー橋に到着

ラティンスキー橋

橋から見た事件現場

今日から泊まる、橋そばのホテル・ラティンスキー・モスト、
外観は少し変わっていますが、サラエヴォ事件の当時にもあった建物です。

街へ、ホテル・ヨーロッパが右手に

10月12日(金) スプリットから、モスタルに移動

朝9:20、スプリット駅そばのバス・ターミナルから、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルへ出発、
プロチェを過ぎて、入出国検査があり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナへ、

2時頃着、モスタルの旧市街に近いところでバスを降ろしてもらい、10分ほど歩いて、世界遺産のスターリ・モストに近い今日の宿パンシオン・チャドラクへ
荷物を整理し、小雨の中街へ、と言っても宿から直ぐが旧市街です。
近くのインフォメーションで、明日のバス時刻を確認、ボスニアのお金マルカ(KM)を下ろすためのATMの場所をお聞きしました。

ここで、始めての日本の個人旅行の若者に会いました。
関西から来た大学院生の若者で、昨日サラエヴォ゙から来て明日はドブロヴニクに発つそうです。
長期旅行の途中で、アフリカのタンザニアにあるキリマンジャロにも登ってきたそうで,ポーターを雇い、900ドル、数日間かかったそう。

スターリ・モストでは、突然、数人のトルコ人のグループの中のご夫婦に声を掛けられ、何故か、奥さんの方がより凄く親しげに男の私に話しかけてきました。
トルコ語はさっぱり判らず、別の同行の男の人が英語交じりに話してくれるのですが、単語で聞き取れたのがプレジデント、アンカラ、キャピタル、ガヴァーメントくらいでした。
まさかトルコの大統領ではないでしょうから、何かビジネスで日本に関わって、余程良い印象を持ったのではないか、と妻とも話しました。
その場で、お互いに写真を取り合って別れましたが、心が温かくなりました。

6室の小さなホテルですが、英語の上手な上品な女性がオーナーで、部屋も調度品も趣味が良く、お勧めです。
これで朝食は付きませんが、キッチン付きの食堂があり、自由に使えます。
近くのレストランで4で朝食も戴けるので、安く済みます。

同じレストランで夕食を摂りましたが、2人で12で上がりました。
勿論、飲み物(ワインも)付ですよ。
スロヴァキア並みの値段です。
そう言えば、スロヴァキア、ハンガリー、スロヴェニア、クロアチアと下がるに従って、物価が高くなるのを肌で感じます。
中でもクロアチアは、観光地が多いせいか、別格に高いですね。
物によっては、ここボスニア、チェコの隣国スロヴァキアの2倍近くに感じます。

ATMでキャッシングして出てきた100KM(5千円位)札でレストランの支払いをしようとしたら、お釣りが無いとのこと、手持ちのユーロで支払いました。
ATMでは大きな金額しか出て来ないので、小銭が必要なときに困ります。
モスタルでは観光客が多いので、マルカは勿論、クーナ、ユーロも使えますが、サラエヴォでは、どうなるのでしょうか・・・

モスクの近くで、日本のツァー客を見かけました。
ここまで来ているのですね。
ドブロヴニクからは、モスタル日帰りのツァーもあるようです。

今夜は、レストランでボスニアのワイン、ホテルの部屋でビールと果実から作られたリカーのラキア(40度!)を美味しく戴きました。
おかげでブログのアップは出来ませんでした。

部屋の窓からは、遠くと近くにイスラムのミナレットが2塔(本?)見えます。
時間になると、近くのモスクからコーランの響きが聞こえてきます。
この国は、ムスリムの人口が4割以上を占めています。

ボスニア紛争は、1995年迄続きました。
スターリ・モストもその時破壊されましたが、2004年にユネスコの協力により復元されています。

明日は、バスセンターを11時発のバスでサラエヴォに向かいます。

スプリットのバスターミナルから

断崖の道が

続きます。

プロチェのバスターミナルに寄り

プロチェの鉄道駅が遠くに

蜜柑畑が続きます。

鉄道沿いに走ります。

ボスニアに入って古城が

モスタルに着いてホテルへ、スターリ・モストが見えます。

ホテルへ

ホテルに荷物を置いて、街へ

スターリ・モストから

スターリ・モストを

更に後方から

モスクとミナレット

話しかけてきた、トルコのご夫妻

部屋の窓からミナレットが

下流から橋を

夜のスターリ・モスト

夜のモスクとミナレット

夜の橋塔

部屋からミナレットを